川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

メーデー 493 山中鹿介

土曜日・日曜日と「香君 上橋菜穂子」を読んでいました。朝はいつものとおり、善福寺川沿いを走ってきました。走るには今が一番気持ちの良い季節かなと思いながら走りました。

「日本史1200人」493 山中鹿介(シカノスケ;1545〜1578)

戦国時代の武将、尼子氏の重臣尼子義久の近習となる。尼子氏は1563年毛利元就軍の侵攻を受け、1566年ついに落城して滅亡した。出雲を去った鹿介は、主家尼子家の再興を画策し、尼子の遺子・勝久を擁して尼子の残党を糾合し、一時は出雲の大半を奪取したが、毛利の援軍と戦って大敗し夢は断たれた。しかし、その後も執拗に再興を図って各地に転戦し、織田信長を頼って羽柴秀吉の麾下に入って毛利攻めに参加した。しかし毛利の大軍に包囲され、上月城に主君・勝久とともに籠ったが降伏した。鹿介は護送される途中、高梁川河畔で殺された。その生涯は、尼子家再興の執念と毛利氏に対する敵愾心に徹したものであった。

「尼子衆メーデーじゃない再興じゃ! 山中鹿介 に 端遊」

メーデーが5月の季語です。労働者の祭日です。尼子残党も労働者かな・・・鹿介は尼子十勇士の筆頭にして、「山陰の麒麟児」の異名を取り、尼子家再興のために「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話で有名です。

習字は、「尼子衆」はスッキリと、「メーデーじゃない」はそれなりに、「再興じゃ!」は強く、というつもりで書きました。「香君」の続きが読みたいのでチョッと目をつぶりました。


f:id:tanyuu4792:20240506092905j:image