朝、善福寺川沿いを走ってきました。雨が降りそうだったので急いで走ってきたら、家に着く頃に降り出しました。
「日本史1200人」496 陶晴賢(ハルカタ;1521〜1555)
大内義隆の重臣。1541年には、毛利元就の郡山城を包囲する尼子氏の軍勢を撃破するなど活躍した。しかし、義隆が重税を課して文治主義に傾き、領内での不満が高まったため、1551年に大寧寺の変を起こして義隆を自害に追い込んだ。晴賢は大内義長を擁立して領内での実権を握った。1554年、大内氏に従っていた毛利元就が離反して厳島を占領すると、翌年これを討つため大軍を厳島に集結させたが、暴雨の中に夜襲をかけられ敗北し自刃した。家臣の「元就の狙いは大内軍を狭い厳島に誘き寄せて殲滅しようとするものだ」という進言を入れずに出陣し敗れ、器量に乏しい面があった。
「看板は重税カット!鯖を読む 陶晴賢 に 端遊」
鯖が5月の季語です。美味しいのは秋ですが、この時期に近海に群れをなします。「鯖を読む」は鯖が傷みやすいので、急いで数を読むため、その際にごまかす、ところから来ています・・・晴賢は冷酷な一面もあり、厚狭弾正という人物が無罪を訴えていたとき、笑みを浮かべながら火あぶりにしました。直後の合戦で晴賢は落馬しましたが、このとき晴賢の家臣は弾正の亡霊が晴賢を突き落とすのを目撃したと伝えられます。
習字は、「看板は」はニヤリと、「重税カット!」はそれなりに、「鯖を読む」は知らんふり、というつもりで書きました。