川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

梅 426 松田憲秀

朝、海沿いを走ってきました。昨日から嫁さんが東京で、ルーターも無いので、容量倹約のため新聞もユーチューブも見ません。失語症にかかりそうです。

「日本史1200人」426 松田憲秀(ノリヒデ;?〜1590)

後北条氏の家臣。憲秀は家老として北条氏康に仕え、様々な内政・外交を担当した。また、各地を転戦して氏康死後は氏政に仕えた。当時一国の大名ほどの格式を持ち、文書発給の際に印章を使用した。1590年の豊臣秀吉による小田原征伐において、当初は徹底抗戦を主張するも、堀秀政らの誘いを受けて長男・政晴と共に豊臣方に内応しようとした。しかし、次男・直秀の注進があり北条氏直によって、憲秀は監禁され政晴は殺害された。この事件は、北条家に降伏を決意させたといわれている。この結果、北条家仕置時に、秀吉にその不忠を咎められて切腹した。

「梅咲いて父は監禁ご切腹 松田憲秀 に 端遊」

梅が2月の季語です。花言葉“高潔”をクソ真面目な次男・直秀に掛けました。でも、そもそも誘ったの秀吉じゃないのかな・・・次男・直秀は氏直に従い高野山に入り、氏直死後は憲定と改名し、豊臣秀次前田利長に仕えて4千石を知行され、1614年に金沢で死去しています。

習字は、「梅咲いて」は堂々と、「父は監禁」は悲しく、「ご切腹」は無感情に、というつもりで書きました。


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