川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

臘梅 425 北条綱成

今日、嫁さんが東京に行きました。今は、石垣から羽田に向かっています。

「日本史1200人」425 北条綱成(ツナシゲ;1515〜1587)

戦国武将、後北条氏家臣、相模国玉縄城主。第2代当主北条氏綱は綱成を大いに気に入り、娘を娶わせて北条一門に迎え北条姓を与えた。北条家の主力部隊五色備えのうち黄備え隊を率い、上杉家との戦いをはじめ、各地を転戦した。氏綱が死去して北条氏康家督を継いでも、その信頼が変わることはなかった。特に1546年の河越夜戦では、半年余りを籠城戦で耐え抜いた上に本軍と呼応して出撃し、北条軍の大逆転勝利に大功を立てた。戦場では常に勇敢で、大将であるにも関わらず常に先頭に立って「勝った!勝った!」と叫びながら突撃したとされ、上杉軍や武田軍も恐れた。

「臘梅の勝った勝ったと花咲かせ 北条綱成 に 端遊」

臘梅が1月の季語です。葉に先駆けて淡黄色の小さな花を無数に咲かせます。花は勝った勝ったと言っています・・・氏康が病死すると、綱成も家督を子の氏繁に譲って隠居し、剃髪して上総入道道感と名乗りました。

習字は、「臘梅の」は幼く、「勝った勝ったと」は楽しく、「花咲かせ」はスッキリと、というつもりで書きました。


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