川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

寒烏 424 上杉憲政

朝、海沿いを走ってきました。嫁さんが明日東京に行くことが決まったので昨日からバタバタとしています。

「日本史1200人」424 上杉憲政(ノリマサ;1523〜1579)

山内上杉家15代当主、戦国大名関東管領。父・憲房が死去した時、まだ3歳と幼少のため、父の養子である上杉憲寛が家督を継いだ。しかし8歳の時に、憲政方が憲寛方に勝利し、家督を継いで関東管領となった。以後、北条氏と戦うが相次いで敗れ、有力な家臣を失い、奢侈・放縦な政治で民心も失って、越後の長尾景虎(上杉謙信)を頼った。1560年、景虎に擁されて関東に出陣し、帰途、鶴岡八幡宮で上杉の家名を景虎に譲り剃髪した。1578年に謙信が病没すると、跡目を巡る混戦のさなか殺害された。

「家名だけそれだけの奴(ヤツ)寒烏 上杉憲政 に 端遊」

寒烏が1月の季語です。冬の烏です。上杉謙信の名を世に出しましたが、民心も失って寒いやつです・・・憲政は北条氏康には一度も勝てませんでしたが、これは北条を軽輩と見下して、自身は出陣しなかったためと批判されています。

習字は、「家名だけ」は堂々と、「それだけの奴」は弱く、「寒烏」はそれなりに、というつもりで書きました。


f:id:tanyuu4792:20240130101401j:image