朝、雨が降っていたのでバイクを漕ぎました。今日と明日が底のようですが、暖房は特にしていません。ありがたいです。
「日本史1200人」419 北条氏政(1538〜1590)
後北条氏第4代当主、戦国大名、北条氏康の次男。兄の氏親が夭折したため氏政が跡継ぎとなった。21歳で家督を譲られると、以降約12年間に渡って父との共同統治を行った。当主になった翌年に上杉謙信が関東に侵攻し、以後抗争を繰り返した。1568年に武田信玄が三国同盟を破り駿河に侵攻すると、謙信と同盟を結ぶなどして対抗した。1582年の織田信長による武田氏の滅亡、信長の死去による織田領への侵攻、上杉氏・徳川氏との戦い、などにより後北条氏の最盛期を築き上げたが豊臣秀吉と対立した。1590年の小田原征伐では氏政・氏直親子は小田原城に籠城して対抗したがその後降伏し、秀吉に切腹を命じられ自害した。約100年間に渡った北条氏の関東支配は終結した。
「寒猿と見下しました馬鹿でした 北条氏政 に 端遊」
寒猿(カンザル)が1月の季語です。普通はカンエンと読みます。冬の猿は食料が乏しくなると里まで降りてくることがあります。一説に氏政は判断が甘かったようです・・・家族思いの人物であったらしく、有能な弟達と常に良好な関係を維持していました。愛妻家でもあり、武田の駿河侵攻を機に離婚させられましたが、和睦した際には真っ先に妻の遺骨を貰い受け手厚く葬っています。
習字は、「寒猿を」は弱く、「見下しました」は強く、「馬鹿でした」は幼く、というつもりで書きました。