川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

鬼やらひ 427 大道寺政繁

朝、海沿いを走ってきました。帰ってシャワーを浴びて体重を測ったら54.4kgと先週より1.2kg減っていました。嫁さんは無事に工芸高校の受験書類を提出できたようです。

「日本史1200人」427 大道寺政繁(マサシゲ;1533〜1590)

後北条氏の家臣。河越城及び松井田城主。大道寺氏は平氏とも藤原氏とも言われるが、代々末裔では「平朝臣」を名乗っている。政繁は北条氏康・氏政・氏直の3代に仕えた。内政手腕に優れ城下の振興をおおいに図った。また、主要合戦のほとんどに参戦して武功を挙げた。1590年に豊臣秀吉小田原征伐が始まると、碓氷峠で迎え撃とうとするが敗北し、城に籠もって戦うが圧倒的な大軍の前に開城降伏した。その後、豊臣方に加えられ八王子城攻めにおいては最も働いたとされている。しかし小田原城が陥落した後、秀吉から北条氏政・氏照・松田憲秀らと同じく開戦責任を咎められ切腹を命じられた。一説には江戸の桜田で処刑されたともいわれる。大道寺氏は政繁の死によって一旦滅亡した。

「戦って戦い抜いて鬼やらひ 大道寺政繁 に 端遊」

鬼やらひが2月の季語です。悪鬼を追い払う朝廷の行事で、追儺とも言います。戦い抜いた政繁は悪鬼かな・・・埼玉県川越市常楽寺に供養塔、群馬県安中市の補陀寺に墓、青森県弘前市の貞昌寺にも、政繁の養子の隼人が建立した供養塔が残っています。

習字は、「戦って」は強く、「戦い抜いて」は疲れて、「鬼やらい」は悲しく、というつもりで書きました。


f:id:tanyuu4792:20240202104755j:image