川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

春雷 454 山県昌景

朝、走り出したらお腹が痛くなったので、家に帰りバイクを漕ぎました。今も少し違和感があって、初めての感じです。嫁さんは毎日充実して過ごしているようです。

「日本史1200人」454 山県昌景(マサカゲ;1529〜1575)

武田家・家臣。昌景ははじめ武田信玄の近習として仕え、信濃侵攻において初陣を果たし、その後も兄・虎昌に勝るとも劣らない武者振りを発揮した。1565年に信玄の嫡男・義信と虎昌が謀反を起こした際には謀議を密告し、虎昌は成敗されたという。山県隊は軍装を赤一色としたことから、「赤備え」を見ただけで勇猛な兵ですら震え上がったと言われる。昌景は身長は130〜140cmの小柄で、痩身で兎唇であったが「不器量なれども渠を備え、立てば耳の際に雷が落ちたる如くなり」と畏怖された。信玄亡き後は勝頼に仕えたが、馬場信春と共に疎まれ、長篠の戦いでは山県隊は「一番」に攻撃を仕掛けたが敗退し戦死した。

「小粒でも立てば春雷赤備え 山県昌景 に 端遊」

春雷(シュンライ)が3月の季語です。虫出しの雷ともいわれます。敵も震え上がったかな・・・山県隊の赤備えは最強部隊の代名詞となり、徳川家康重臣井伊直政真田信繁(真田昌幸・次男)らも赤備えを採用しています。

習字は、「小粒でも」はサラリと、「立てば春雷」は強く、「赤備え」は堂々と、というつもりで書きました。


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