川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

斑雪山 455 板垣信方

朝、隣町に行き二人でいつものコースを走り、ご自宅に寄らせて頂いて奥さんからおみやげを頂き、郵便局で転送届を出してきました。東京行きに向けて洗濯や掃除を始めました。

「日本史1200人」455 板垣信方(ノブカタ;1489〜1548)

武田家・家臣。武田晴信(信玄)が父信虎を追放して家督を継ぐと家臣団の筆頭格となる。晴信が諏訪氏を滅ぼすと諏訪郡代となり、諏訪衆を率いて信濃経略戦で戦功をあげた。1547年の小田井原の戦いでは関東管領軍を撃破し大勝をおさめた。老年になると信方はしばしば増長ぎみとなり、信玄は「誰もみよ、満つればやがて欠く月の 十六夜ふ空や、人の世の中」という和歌を送り諌めたという。村上義清との上田原の戦いで先陣となり初戦で村上勢を破るが、逆襲を受けて討死した。

「威を借りて威張って負けて斑雪山 板垣信方 に 端遊」

斑雪(ハダラ)山が3月の季語です。斑(マダラ)に雪が残る山です。天(信玄?)の力を借りて真っ白だった山も、やがては斑です・・・信方の死後、家督は嫡男・信憲が継ぎましたが、不行跡のために武田家から追放され後に誅殺されました。嫡流は一旦断絶しましたが、信方の娘婿で同族の左京亮信安が板垣氏を再興しました。やがて子孫からは、戊辰戦争で活躍した板垣退助が出ています。

習字は、「威を借りて」はスッキリと、「威張って負けて」はそれなりに、「斑雪山」は溶けだして、というつもりで書きました。


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