川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

春雨 453 馬場信春

朝、海沿いを走ってきました。ゾクッとするくらい大きな客船が港に入ろうとしていたのでビックリしました。約40分後に走り戻ってきたら船は洋上に出ていたので、何となくホッとしました。

「日本史1200人」453 馬場信春(ノブハル;1515〜1575)

武田家・家臣。武田信虎・信玄・勝頼の三代に仕えた歴戦の重臣だった。信玄が当主となると直後から武功を挙げ、信虎に当主・馬場虎貞が殺害され名跡が絶えていた、馬場氏を継ぐことを許された。その後も武功を挙げ、譜代家老衆の一人として列せられた。1575年の長篠の戦いでは、数で劣る味方が次第に崩れる中、馬場隊は殿を務め、勝頼が退却したのを見届けると、追撃する織田軍と戦い、首を差し出した。武田3代に仕えた40数年の間、70回を越える戦闘に参加したが、長篠の戦いまでかすり傷一つ負わなかったという。このため「不死身の馬場美濃」「不死身の鬼美濃」と評されている。

「鬼美濃が首をひょいッと春雨じゃ 馬場信春 に 端遊」

春雨が3月の季語です。ひょいッと出した首筋に温かい春雨、よい餞(ハナムケ)じゃ・・・駿河侵攻では先鋒を務めましたが、今川氏の財宝が焼失するのを惜しんだ信玄が運び出すよう指示したことを知ると、すぐさま駆けつけ「貪欲な武将として後世の物笑いになる」と、周囲が止めるのも聞かずに財宝を火中に投げ込んだと言われています。

習字は、「鬼美濃が」は強く、「首をひょいッと」はひょうきんに、「春雨じゃ」は明るくと、というつもりで書きました。


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