朝、善福寺川沿いを走ってきました。お腹を壊したのは、自分で作った浅漬けのせいだと分かりました。嫁さんは良い友達にいっぱい恵まれたようです。
「日本史1200人」479 松永久秀(ヒサヒデ;1510〜1577)
大和国の戦国大名、松永弾正(ダンジョウ)の名で知られる。初めは三好長慶に仕えたが、やがて三好政権内で実力をつけた。久秀は長慶の配下であると同時に室町幕府第13代将軍・足利義輝の傍でも活動した。長慶の死後は三好三人衆と離合集散を繰り返し、畿内の混乱する情勢の中心人物の一人となった。織田信長が義輝の弟・足利義昭を奉じて上洛してくると、一度は降伏して家臣となったがやがて対立し、反信長勢力と呼応して、本願寺攻めから勝手に離脱し、信貴山城に立て籠もり対決姿勢を明確にした。信長は10万の軍勢を送り込み信貴山城を完全に包囲させた。久秀は名器・平蜘蛛を叩き割って天守に火をかけ自害し果てた。
「偉いんだ!派手に死ぬぞ!と囀って 松永久秀 に 端遊」
囀ってが4月の季語です。雄の求愛・縄張り争いで鳴きます。久秀は縄張り争いで吼えたんだろうな・・・久秀は“名器・古天明平蜘蛛を城外へ出すように”との求めに「平蜘蛛の釜と我が首の2つは信長公にお目にかけようとは思わぬ、鉄砲の薬で粉々に打ち壊すことにする」と返答したとされ
ます。
習字は、「偉いんだ!」は偉そうに、「派手に死ぬぞ!と」は強く大胆に、「囀って」は幼く、というつもりで書きました。