川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

門松 410 小野寺景道

朝、海沿いを走ってきました。風が強く雨が降りそうでしたが、Tシャツ短パンで走りました。

「日本史1200人」410 小野寺景道(カゲミチ;1534〜1597)

小野寺氏第13代当主、戦国大名。12歳の時に父・稙道が家臣に殺されて横手城が奪われると、庄内の大宝寺氏に保護され、数年後に知謀の将・八柏道為の尽力もあり城を奪い返した。その後勢力を盛り返して、湯沢城を八柏道為にあたえ、大宝寺氏の娘を正妻にむかえ、稲庭・川連などの支城に一族を配置し、小野寺氏の最盛期を築き上げて、安東氏や戸沢氏、最上氏らと対峙した。1582年、上洛して天下人の織田信長と会見したが、帰国後に大宝寺義氏の横死、嫡子・光道の病死が相次ぎ、側室より生まれた次男・義道に家督を譲って隠居した。

「一族の門松ビシリ!敵よ来い 小野寺景道 に 端遊」

門松が新年の季語です。竹や松の他に梅や榊なども飾りますが、一族はビシッと揃えます。何しろ回りは敵だらけです・・・景道は第12代当主・小野寺稙道の四男として誕生し、父に倣って、室町幕府第13代将軍・足利義輝から偏諱を賜り、初めは輝道と名乗り後に景道に改名しました。

習字は、「一族の」は明るく、「門松ビシリ」はスッキリと、「敵よ来い」は強く、というつもりで書きました。


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