川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

亀鳴く 477 足利義昭

朝、善福寺川沿いを走ってきました。早咲きの桜が散らないでしっかり咲いているのに驚きました。嫁さんは学校のことで、いっぱい楽しいことがあるようです。

「日本史1200人」477 足利義昭(ヨシアキ;1537〜1597)

室町幕府第15代将軍、12代将軍・善晴の次男。兄の義輝が永禄の変で殺害されると、義昭も幽閉された。このときは僧であったが、細川藤孝の力を借りて近江国の和田氏のもとへと脱出すると、還俗して義秋と名乗った。そして将軍家再興を目指して越前・朝倉氏を頼って身を寄せ、そこで元服して義昭に改名した。しかし朝倉義景に上洛の意志がないことがわかると、明智光秀を介して織田信長を頼った。信長は義昭を擁立して上洛し、念願の15代将軍になったが、実権を握ったのは信長だったため、義昭は信長追討を画策した。朝倉・浅井・六角・武田氏、そして本願寺と連携して信長包囲網を形成し、1573年に自ら山城国・槇島城で挙兵したが、信長軍に破れ追放された。ここに室町幕府は滅亡し、義昭は出家後に病死した。

「宜ぴく!と亀鳴く人は踊らない 足利義昭 に 端遊」

亀鳴くが4月の季語です。亀は鳴きませんが、首を長くして他人(ヒト)を頼る義昭は鳴く亀のようです・・・京を追放された義昭は毛利氏を頼りましたが、信長の死後は豊臣秀吉の天下統一事業が始まり、将軍家再興の夢は潰えました。秀吉の征夷大将軍の就任願いは断固拒絶しました。

習字は、「宜ぴく!と」は明るく、「亀鳴く人は」はそれなりに、「踊らない」は弱く、というつもりで書きました。


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