川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

四月馬鹿 481 北畠具教

朝、善福寺川沿いを走ってきました。昨夜、ロイヒつぼ膏をふくらはぎに貼ったせいか、足取り軽く走れました。嫁さんは男子同級生を君付けか、ちゃん付けかどちらで呼ぶか迷っています。

「日本史1200人」481 北畠具教(トモノリ;1528〜1576)

戦国大名・公家、伊勢国北畠家の第8代当主。北畠家の支配範囲を順調に広げていき最盛期を築き上げた。1563年に父の晴具が死ぬと喪に服して、嫡男の具房に家督を譲って隠居したが、実権は握っていたようである。1569年、信長自ら北畠領内への侵攻を開始した。奮戦したが兵数に大きな差があり、50余日に及ぶ抵抗の末に降伏する形で和睦した。降伏の条件として信長の次男・茶筅丸(織田信雄)を養嗣子として迎え入れた。しかし、具教と側近達は信長に心服しておらず、1572年、西上作戦の途上であった武田信玄に上洛の際には協力するという密約を結んでいた。そして1576年、具教は信長と信雄の命を受けた旧臣らの襲撃を受けて、子や家臣と共に殺害された。これにより戦国大名としての北畠氏は滅亡した。

「猪口才な!養嗣子などと四月馬鹿 北畠具教 に 端遊」

四月馬鹿が4月の季語です。どんな嘘をついても許される日です。養嗣子(ヨウシシ)とは家督を継ぐ養子ですが、この信勝を迎えた後の5月に、具教はよほど馬鹿げたと思ったか出家しています・・・具教は剣術を好み、修行の旅をする剣客を保護・援助しました。自身も塚原卜伝に剣や兵法を学び、彼は卜伝から奥義である一の太刀を伝授されたといわれます。

習字は、「猪口才な」は強く、「養嗣子などと」は弱く、「四月馬鹿」は馬鹿らしく、というつもりで書きました。


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