川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

芽菖蒲 114 平将門

 朝、海沿いをロングランして来ました。行きはアレサ・フランクリンを聴いたのですが、何だかしっくり来ないので、帰りはマインドフルネスを聴いたらバッチリ気持ちよく走れました。

「日本史1200人」の第114番の平将門(タイラノマサカド?〜940)です。

武士は朝廷に仕える役人だったが、10世紀には地方の紛争を鎮めるため派遣され、そのまま地方で勢力を伸ばすようになって来た。将門は早くから根をおろした桓武平氏の実力者・平良将の子である。良将の領地を引き継ぐため官位を得ようと上京し、朝廷に出仕していたが、父の死後、領地は伯父たちに奪われた。これがきっかけで戦いとなり、さらに国司とも対立して、関東8カ国を制圧して939年、自ら新皇と名乗った。しかし、50日後に、将門に父を殺された平貞盛藤原秀郷の連合軍に討たれた。将門は侠気に富んだ武人だったと伝えられ、時代とともに英雄視されるようになった。

「芽菖蒲よ関八州に朕(チン)も咲く 平将門 に感じて」

芽菖蒲が3月の季語です。花菖蒲の芽です。菖蒲≒勝負、泥の中から出す芽、花菖蒲の花言葉「心意気」に掛けました。また、新皇と名乗ったとのことで朕とシャレました。朕はかつて古代中国において王侯貴族が使っていましたが、始皇帝が皇帝のみ使用できる一人称として独占しました。それに倣い、日本においても天皇詔勅や公文書内における一人称として用いました。

習字は、「芽菖蒲よ」はスッキリと、「関八州に」は力のこもった感じで、「朕も咲く」はおおらかに、というつもりで書きました。何枚書いてもイマイチで、チョッと妥協しました。


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