川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

子蟷螂 294 楠木正行

これから内地に向かって出発します。体重を測ったら54.2kgと先週より0.6kg増えていました。チョッと油断すると、すぐに体重が増えるので、内地に行くにあたっての、良い戒めなりました。

「日本史1200人」294 楠木正行(?〜1348)

楠木正成の嫡男。正成が大楠公と呼ばれてからは、小楠公と呼ばれる。父の遺志を継ぎ、一族の棟梁となって南朝方として戦い続けた。1347年、寡兵でもって北朝室町幕府の勇将細川顕氏山名時氏らの大軍を立て続けに破り、北朝から「不可思議の事なり(人智を超越した事象である)」と畏怖された。しかし翌年、高師直・師泰兄弟との四條畷の戦いで敗れた。最後は父と同様に、弟の正時と刺し違えて自害した。

「父の遺志いやいや継ぐか子蟷螂 楠木正行 に 端遊」

子蟷螂(コトウロウ・コカマキリ)が6月の季語です。誕生直後から斧をかざしています。少数の南朝方の大将なんて・・・湊川の戦いの直前に桜井(大阪府)で、死を覚悟した正成が共に戦うことを懇願した正行に別れを告げたとされる「桜井の別れ」の像が大阪府の史跡桜井駅跡史跡公園にあります。

習字は当分筆ペンです。「父の遺志」はスッキリと、「いやいや継ぐか」はいやいやのように、「子蟷螂」は弱々しく、というつもりで書きました。


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