川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

滝垢離 325 大内義弘

 朝、一人で海沿いを走って来ました。帰ってシャワーを浴びて体重を測ったら53.4kgと先週より0.7kg増えていました。

「日本史1200人」325 大内義弘(1356〜1399)

周防・和泉ほか6か国の守護大名室町幕府に従って多くの功績を立て、足利義満は将軍家に準じる事を認める御内書を発した。義弘は忠節を誓って、1395年に義満が出家した際にもそれに従って出家し入道となった。しかし領国を増やしすぎた事が義満の不安を招き、義弘討伐が発っせられた。義弘は覚悟を固め、討死は必定と考え、自身の葬儀を執り行い、四十九日法要までも行い、老いた母にも色々な形見を送り、最期の戦いを開始し、散々に足利勢を打ち破った末、最後は畠山満家に討ち取られた。

「尽くしても尽くし足りぬか滝垢離す 大内義弘 に 端遊」

滝垢離(タキゴリ)が7月の季語です。滝浴びですが、身を清める滝垢離は冬でもします。死出の滝垢離です・・・1379年に高麗からの要請を受けて倭寇勢力と戦い、慶尚道までも追跡しました。この事は高く評価され、李朝の成立後の1395年に李朝大内氏との間に直接通交を成立させることになりました。

習字は、「尽くしても」は強く、「尽くし足りぬか」は悲しく、「滝垢離す」は激しく、というつもりで書きました。


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