川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

新茶 491 尼子経久

朝、善福寺川沿いを走ってきました。昨夜ご飯を食べたせいか疲れることなく走ることができました。走るには炭水化物が大事だなと改めて思いました。

「日本史1200人」491 尼子経久(ツネヒサ;1458〜1541)

戦国大名、出雲守護代尼子清定の嫡子、尼子晴久の祖父。16歳の時に、人質として主君・京極政経の京都屋敷へ送られ、滞在中に元服し経久と名乗のった。5年後、出雲国に下向し父から家督を譲られ守護代になると、寺社領の押領など、公然と守護の支配に抗したので、1484年に守護・政経によって守護代職を罷免され、月山富田城を追われた。しかし、2年後に城を奪回して守護を放逐し、近隣の国人を制圧して戦国大名として独立した。大内義興足利義稙を奉じて上京すると、その間隙を縫って中国地方に進出して版図を広げ、尼子氏の最盛期を築いた。「十一カ国太守」と称される一方、「謀聖」「謀将」とも称された。経久・元就・直家は中国の三大謀将とも称される。

「謀聖と?むふふと笑い新茶飲む 尼子経久 に 端遊」

新茶が5月の季語です。「謀聖」と呼ばれたら嬉しいかな?・・・経久は多面に優れ文武両道で、晩年に自画像を残しています。また、家臣に対しては非常に気を使う優しい人物でした。

習字は、「謀聖と?」はスッキリと、「むふふと笑い」はそれなりに、「新茶飲む」はサラリと、というつもりで書きました。


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