川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

紫苑 393 バッハ

朝、隣町に行き、二人でいつものコースを楽しく走り、おしゃべりしてきました。雨がちょっとだけ降りました。

「世界史1200人」393 バッハ(1685〜1750)

ドイツ、作曲家・オルガニスト。10歳で両親を失い、兄に教育された。各地の教会でオルガンやチェンバロの奏者として活躍し、即興演奏の大家として知られていた。「G線上のアリア」などの合奏曲、「マタイ受難曲」などの声楽曲、賛美歌など1000を超える作曲を行った。その様式はバロック音楽に共通する対位法を重んじたが、極限まで洗練進化させ音楽史上の大きな存在となり、日本の音楽教育では「近代音楽の父」と呼ばれている。なお、30歳頃までの生活は決して楽なものではなく、常に良い条件の職場を探し求めていた。その一方で、契約した先々で様々な些細なトラブルも起こしていた。あるときは5つの仕事を同時に引き受けていたが、5つのうち4つでトラブルを抱えていた。

「即興で受難もさらり紫苑咲く バッハ に 端遊」

紫苑(シオン)が9月の季語です。星形に咲く淡紫色の花です。花言葉「追憶、君を忘れない」は今昔物語の父の死をいたむ兄弟に由来します。受難は受難曲とトラブルに掛けました・・・バッハは同年齢のヘンデルを尊敬していましたが、実際の面識はありませんでした。晩年は視力を失い、手術を受けますが成功せず、手術の後遺症で病死しました。

習字は、「即興で」は楽しく、「受難もさらり」はそれなりに、「紫苑咲く」はサラリと、というつもりで書きました。


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