川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

幟 490 尼子晴久

朝、雨が降るとの予報だったのでランは休みました。ところがゴミを出しにいったら、おじさんが走っていて、何だか損した気がしました。

「日本史1200人」490 尼子晴久(ハルヒサ;1514〜1560)

出雲国守護大名。父・政久が若くして戦死したため、祖父・経久の後見を受け24歳で家督を継いだ。周防国大内義隆安芸国毛利元就を相手に戦いを起こし失敗した。しかし、その後は徐々に勢力を拡大し、13代将軍・足利義輝により8カ国の守護に任じられ、中国地方随一の大大名となった。1554年、国内で勢力を持っていた叔父・尼子国久を中心とする新宮党を一掃し、一族の統制を図った。さらに、石見に侵攻して毛利軍を撃破し石見銀山を手に入れた。その後、銀山をめぐり元就としのぎを削るが、戦いの最中、月山富田城内で没した。 晴久の急死に元就は「一度でいいから旗本同士で戦いたかった」と言ったという。

「銀山じゃ幟立てい!と君と僕 尼子晴久 に 端遊」

幟(ノボリ)が5月の季語です。子供の日のものですが、戦陣に使わせて貰いました。君と僕は当然、元就と晴久です・・・月山は島根県安来市にある標高197mの山で、富田城は約160mの高さにあり、難攻不落の「天空の城」と呼ばれていました。

習字は、「銀山じゃ」は嬉しく、「幟立てい!と」は強く、「君と僕」は楽しく、というつもりで書きました。


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