川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

炉 368 織田長益

朝、善福寺川沿いを走ってきました。新しい耳から外れにくいイヤホンをして走ったら快調でした。嫁さんが昨日買ってきた都立工芸高校の教科書はすごく面白そうです。

「日本史1200人」368 織田長益(1547〜1621)

織田信長の弟、信秀の11男。信長とは年齢が13歳離れており、前半生の事歴はあまりわかっていない。本能寺の変後は甥の信雄に仕え、小牧・長久手の戦いでは徳川家康に助力した。戦後は家康と秀吉の講和の折衝役を務めた。関ヶ原の戦いでは東軍に属し、総勢450の兵を率いて参戦した。寡兵ながら西軍の有力武将の首級を2つ取り、大和国内で3万2000石を与えられた。戦後も豊臣家に出仕を続け淀殿を補佐した。冬の陣後は和睦を締結させ家康に人質を出すが、大坂夏の陣を前にして、家康対し「誰も自分の下知を聞かず、もはや城内にいても無意味」と許可を得て、豊臣家から離れた。大坂退去後は京都に隠棲し、茶の湯に専念し、趣味に生きた。

「穏便にまァお茶でもと炉を開き 織田長益 に 端遊」

炉が11月の季語です。茶の湯の炉です。炉話で講和・和睦などを勧めたかな・・・長益は千利休に茶道を学び、利休十哲の一人にも数えられます。後には自ら茶道有楽流を創始しました。また、京都建仁寺の正伝院を再興しましたが、茶室如庵は現在国宝に指定されています。

習字は、「穏便に」は優しく、「まァお茶でもと」は楽しく、「炉を開き」はサラリと、というつもりで書きました。


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