川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

枯芒 391 村井貞勝

雨なのでランは休みました。病院の先生の都合で、今日これからがん検査の結果を聞きに行くことになりました。

「日本史1200人」391 村井貞勝(1528〜1582)

武将。行政手腕に長け、織田信長から厚い信任を受けて早期より重用された。信長が足利義昭を追放した後、京都所司代に任ぜられた。1580年、信長は京都での居住場所を本能寺に移すことに決め、貞勝に普請を命じた。1581年には出家して春長軒と号し家督を譲ったが、翌年、本能寺の変の際には本能寺向かいの自邸にいた。貞勝は信長の嫡男・信忠の宿所の妙覚寺に駆けつけ、二条新御所への移動を提言し、新御所に立て籠もって明智軍に抗戦したが、信忠とともに討死した。宣教師のルイス・フロイスは、「尊敬できる異教徒の老人であり、甚だ権勢あり」と評した。

「事務方は籠もるのが好き枯芒 村井貞勝 に 端遊」

枯芒が12月の季語です。老人でもあり枯芒としました・・・貞勝は御所の築地塀の修復に、いくつかの班に分けて作業を競わせました。築地塀の上では歌や踊りが披露され、あまりの賑わいに正親町天皇や貴族らも見物しました。そして修復工事は瞬く間に完成したということです。

習字は、「事務方は」は弱く、「籠もるのが好き」は籠もるようにまとめて、「枯芒」は消えるように、というつもりで書きました。


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