川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

年忘 392 伊達政宗

昨日、大腸がんの術後検査結果を聞きに行ったら、4mm程度のポリープを3個切除したが、心配ないとのことで、一応安心しました。今日の朝はいつものように善福寺川沿いを走ってきました。途中でイヤホンが聞こえなくなり、音楽無しだと疲れるなと思いました。

「日本史1200人」392 伊達政宗(1567〜1636)

武将、大名、伊達輝宗の長男、幼名は梵天丸。幼くして疱瘡のため右目の視力を失ったが(独眼竜)、知恵と度胸を持った器として期待された。11歳で成人し、13歳で愛姫を正室に迎え、18歳で家督を継ぎ、周辺の大名を次々攻略して24歳で奥州の約1/3を支配した。豊臣秀吉の怒りを買い幽閉され詰問された時は、千利休に茶を習いたいと頼み、腹の座った態度が認められ釈放された。秀吉の死後は徳川方につき、仙台に居を移して広大な領土を治めた。支倉常長をローマへ送り、海外貿易を企画するなど、広い視野を持ち、もう少し早く生まれれば、天下を争える知将だった。

「独眼の天下の夢は年忘 伊達政宗 に 端遊」

年忘(トシワスレ)が12月の季語です。一年の苦労を忘れること、またはそのための会(忘年会)です。政宗年年歳歳忘れざるをえなかったかな・・・秀吉の朝鮮出兵に際して、政宗軍の兵士を見た京の住民は思わず歓声を上げました。「伊達者」とは、この時の装いが語源となっているという説があります。

習字は、「独眼の」は強く、「天下の夢は」は堂々と、「年忘」はサラリと、というつもりで書きました。


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