川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

年送る 389 金森長近

朝、善福寺川沿いを走ってきました。今日は昔の仕事仲間と新橋で飲むことにしました。9名集まるとのことで楽しみです。

「日本史1200人」389 金森長近(1524〜1608)

武将、大名、名は初め可近(アリチカ)。18歳の時に織田信秀に仕官し、信長にもそのまま仕え、美濃攻略の功で赤母衣衆に抜擢された。長篠の戦い後には、信長から「長」の字を賜り「長近」と名乗った。さらに、越前一向一揆鎮圧の戦功で大野城主となった。本能寺の変の際、嫡男の長則が織田信忠と共に討死したため、剃髪して法印素玄と号した。清須会議の後は柴田勝家に与していたが、賤ヶ岳の戦いでは参戦せず、羽柴秀吉の傘下に入り、転戦して飛騨一国を拝領した。長近は高山を拠点と定め新城に着手し、同時に城下町を整備した。関ヶ原の戦いでは東軍に与し、石田三成勢らと戦い、旧領に加えて美濃国武儀郡(上有知・関)と河内国金田(金岡町)を加増された。

「名を貰いどうもどうもと年送る 金森長近 に 端遊」

年送るが12月の季語です。来し方行く末を思います。信長・秀吉・家康に仕えれば、いろんな「どうも」で年を送ったろうな・・・高山城下は「飛騨高山の街並み」として名高い観光地となり、上有知城下は「うだつの上がる町並み」として重要伝統的建造物群保存地区となっています。

習字は、「名を貰い」はスッキリと、「どうもどうもと」はそれなりに、「年送る」はサラリと、というつもりで書きました。


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