川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

浅漬け 377 明智光秀

昨日は、三井記念美術館で超絶技巧の工芸品を楽しく見て来ました。お魚ランチも掘り出し物でした。今日の朝は、いつものように善福寺川沿いを走ってきました。

「日本史1200人」377 明智光秀(1528〜1582)

武将、織田家の重鎮。美濃国明智氏の支流の人物。初めは美濃の国主となった斎藤道三に仕えたが、道三と義龍の親子の争いで浪人となり、朝倉義景を頼り十年ほどを過ごした。その後、足利義昭と出会い、織田信長に紹介すると同時に、信長に仕えるようになった。比叡山焼き討ちで武功を上げ、坂本城の城主となり、一乗谷攻略や丹波攻略にも貢献して、丹波一国を与えられ、織田大名の総合指揮権も得た。信長から高く評価されていたが、突如「敵は本能寺にあり」と叫び、信長を急襲して討ち、その息子信忠も自刃に追いやった。その後、羽柴秀吉織田信孝らに敗れたが、光秀の首を確認したという文献資料は残されていない。光秀も信長も合理主義者で、史料でも互いに評価しているものが多く、本能寺の変は未だに謎が多い。

「本能寺首の浅漬けキョロキョロと 明智光秀 に 端遊」

浅漬けが11月の季語です。戦国時代は塩漬けした首を検分しました。信長の首は見つかっていません・・・「フロイス日本史」中には「光秀は誰にも増して、絶えず信長に贈与することを怠らず、その親愛を得るために、彼を喜ばせることは万事につけて調べている・・・」などとあります。

習字は、「本能寺」はスッキリと、「首の浅漬け」はサラリと、「キョロキョロと」はそれなりに、というつもりで書きました。


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