川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

風除け 378 滝川一益

朝、善福寺川沿いを走ってきました。気温が10℃だったので、タイツを履かずに走りました。外に出る時はチョッと怖かったです。

「日本史1200人」378 滝川一益(1525〜1586)

武将、織田氏の宿老。早くから信長に仕え美濃攻めも経験している。長島一向一揆の鎮圧を任されて武功を上げ、その後は各地を転戦して貢献した。1582年の武田攻めでは、総大将となった信長の嫡男・信忠の軍監として活躍し、厩橋城の城主となった。しかし、本能寺の変の際には北条氏直と交戦していたため、清須会議(織田家継承会議)には間に合わず、織田家における地位は急落した。宿老から外れた一益は、やがて柴田勝家に接近したが、勝家が賤ヶ岳の戦いに敗れると、秀吉に降伏して所領を全て失い出家した。しかし、織田信雄徳川家康と共に反秀吉の兵を挙げると(小牧・長久手の戦い)、秀吉に呼び戻されて秀吉方となった。この戦いでは結局、一益は命からがら伊勢に逃れ、以後は秀吉の東国外交を担った。

「宿老も風除け代わり西東 滝川一益 に 端遊」

風(カザ)除けが11月の季語です。北風を防ぐ囲いです。宿老は十分に経験を積んだ老人を指し、転じて家老などの称になりました。晩年の一益は軽い風除けかな・・・近年の新説として、清洲会議の前日に秀吉から一益に充てて、家康と連携して北条軍を防ぐようにと書状が出ていることから、会議には最初から呼ばれていなかったとする説もあります。

習字は、「宿老も」は弱く、「風除け代わり」は寂しく、「西東」はそれなりに、というつもりで書きました。


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