川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

餅配り 398 南部信直

昨日の最終便で与那国島に帰ってきました。石垣→与那国の飛行機が視界不良のため、条件付きで飛んだのですが無事に着いてくれました。迎えに来てくれた友も飛行機が着いたことを喜んでくれました。家の中もカビ発生などの問題もなくホッとしました。そして何よりも気温の暖かさに心身ともに癒やされました。嫁さんも大喜びでした。朝は雨が降っていたのでバイクを漕ぎました。

「日本史1200人」398 南部信直(1546〜1599)

武将、南部氏第26代当主、盛岡藩の藩祖。南部氏中興の祖といわれた。豊臣秀吉から小田原参陣命令がくると、三戸城の留守を心配したが、八戸政栄に託して三戸を出発した。しかし、秀吉に謁すると、既に津軽は為信に与えられていた。秀吉も今更間違ったともいえず、代替地のつもりで志和、和賀、稗貫、岩手、閉伊を加増した。それゆえ新たに五郡を付加されたが石高は変わらなかった。朝鮮の役後は築城や領内の基盤固めに専念した。後に、浅野長政からの「三戸城は山に囲まれていて豊穣の地にはなりがたい。一方、不来方(盛岡)は城を築くに適当である」との勧めもあり、盛岡城築城を決意した。秀吉の認可の翌年に信直は逝去し、盛岡城は跡継ぎの利直によって完成された。

「棚ぼたの五郡は無税!餅配り 南部信直 に 端遊」

餅配りが12月の季語です。正月の餅ですが、ここでは広くお祝いの餅として使いました。秀吉は石高毎にシッカリ年貢を徴収しました・・・死の直前、信直は長女・千代に向けた手紙で「大事ない、海藻が食べたくなったので、ワカメや昆布を確保して欲しい」と言っていましたが、その直後に死去しました。

習字は、「棚ぼたの」は明るく、「五郡は無税!」はそれなりに、「餅配り」は楽しく、というつもりで書きました。


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