川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

除夜 399 南部晴政

朝、太平洋を見下ろしながら走ってきました。島はこの一番の寒さのようですが、東京にくらべると楽でした。帰ってシャワーを浴びて体重を測ったら55.7kgと東京に行く前より1.9kg増えていました。

「日本史1200人」399 南部晴政(1517〜1582)

南部氏第23代当主・南部安信の嫡男、南部信直の義父。24歳で家督を継いで第24代当主となり、謀反を起こした工藤氏を討ち、焼失させられた三戸城を再建して南部氏を統一した。さらに、安東愛季と戦い領土を奪回・拡大した。南部氏の版図は、北は青森県下北半島から、南は岩手県北上川中央部までに広がり、「三日月の丸くなるまで南部領」と謳われた。晴政には男子が無かったため、いとこの信直を長女の婿にして養嗣子として三戸城に迎え、安東軍とも共に戦った。ところが後に、実子・晴継が誕生すると、養子である信直を疎んじるようになり、南部家内は晴政同盟と、信直連合の間で対立していった。死後、家督は嫡男の南部晴継が継いだ。

「除夜の鐘我子第一養子は二! 南部晴政 に 端遊」

除夜が12月の季語です。大晦日の夜のことです。除夜の鐘は百八の煩悩を一つずつ救うといわれます。やがては「養子は四!」と願ったかな・・・晴政の没年は、明治36年に旧南部藩士によって作られた「南部史要」では1582年ですが、文久元年に編纂された「三戸南部系図」では1572年です。信直派が謀反を隠すために、没年を10年ずらしたとも考えられています。

「除夜の鐘」はスッキリと、「我子第一」は強く、「養子は二」は弱く、というつもりで書きました。


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