川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

マフラー 397 最上義光

昨夜は嫁さんと二人でお気に入りの居酒屋に行き、3ヶ月ご無沙汰します、と挨拶してきました。今日これから島に向います。

「日本史1200人」397 最上義光(1546〜1614)

第10代・最上義守の長男、幼名は白寿丸。15歳で元服し、寒河江城攻めにて初陣を飾った。妹・義姫は伊達輝宗に嫁ぎ、長男・梵天丸(伊達政宗)を生んだ。1570年頃、義守と義光の間で諍いが生じ、伊達輝宗の介入を招くなどしたが、巧みに退け伊達氏からの完全な独立に成功した。以後は着々と領土を固め、1584年には山形盆地をほぼ制圧した。謀略に長けた義光は勢力を増す甥の伊達政宗と微妙に対立しつつもバランスをとりながら、庄内地方へ領土を広げた。豊臣秀吉の天下統一後は、小田原攻めに参戦して領土の安定化を図り、関ヶ原の戦いでは徳川方に加担して、直江兼続と戦ってこれを退け、57万石の大名に成長し、山形藩の初代藩主となった。

「マフラーに謀略ちょいと国を盗り 最上義光 に 端遊」

マフラーが12月の季語です。義光のニヤリとした顔が隠れていそうです・・・義兄の大崎氏が政宗を攻撃するとこれを支援し、一旦は勝利しますが、妹の義姫が両軍の対峙する中間に駕篭を置き、停戦を懇願したため退いたこともあります。

習字は、「マフラーに」は大胆に、「ちょいと謀略」はニヤリと、「国を盗り」は堂々と、というつもりで書きました。


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