川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

浅き春 431 小山高朝

朝、今日も雨でバイクを漕ぎました。イスラム教と中近東の歴史を調べていたら、あっという間に時間が過ぎてしまいました。

「日本史1200人」431 小山高朝(タカトモ;1508〜1574)

下野国小山氏17代当主、戦国大名。結城政朝の三男として誕生し、1535年頃に小山政長の養嗣子となって、小山氏の家督を継承した。家臣団の統一、周辺との和平交渉、領土の回復を果たすなど内外の問題の解決に尽力し、小山家は比較的安定した勢力を回復することができた。1549年、古河公方足利晴氏の後継で北条氏康と対立したが、兄・政勝が圧力に屈した上に自分の嫡男・秀綱までも同調したため、隠居を余儀なくされた。1561年の小田原城の戦いでは上杉謙信に味方したが、後に北条氏康と手を結んだために、謙信に攻められて降伏し、秀綱に小山城を譲り渡し出家した。

「婿殿は善戦だった浅き春 小山高朝 に 端遊」

浅き春が2月の季語です。雪が降ることもあるような春です。小山家の勢力を一応は回復したのですから・・・この頃の関東は、古河公方家の内紛や後北条氏と上杉氏の争いの影響を強く受け、姻戚関係も入り乱れて、親子や親族が互いを攻め合う事が多くあり、小山・結城両氏も例外ではありませんでした。

習字は、「婿殿は」は弱く、「善戦だった」はそれなりに、「浅き春」は寂しく、というつもりで書きました。


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