川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

寒戻る 428 足利政氏

朝、大雨だったのでバイクを漕ぎました。ネットはブログに使う程度で、後はアナログの生活です。読書の他に、プログラミングや習字の勉強もして、結構有意義に過ごしています。

「日本史1200人」428 足利政氏(マサウジ;1462〜1531)

第2代古河公方。父・成氏から譲られ古河公方を継承した。太田道灌の謀殺をきっかけとする長享の乱においては、当初扇谷上杉家を支持したが、弱体化すると山内上杉家支持に転換した。1505年に両上杉氏が和解すると、弟の顕実を上杉顕定の養子とした。1506年には嫡子・高基と対立し、さらに次男・義明とも対立してしまった。高基との争いに敗れ古河城を失い、公方の位を譲り出家した。息子達と対立する間に、後に古河公方家を没落させることになる後北条氏が関東に着々と進出してきた。

「公方様親子喧嘩じゃ寒戻る 足利政氏 に 端遊」

寒戻るが2月の季語です。喜んだのもつかの間、寒さがぶり返ししてしまうことです。足利家は以後“寒戻る”の連続です・・・政氏期は、歴代古河公方の中でも文化面の活動が最も充実していました。連歌師・猪苗代兼載との交流は特筆されます。兼載は晩年に治療を受けるため古河を訪れ亡くなるまで滞在しました。政氏と兼載は連歌の師弟関係であると評価されています。

習字は、「公方様」は気取って、「親子喧嘩じゃ」はそれなりに、「寒戻る」は寂しく、というつもりで書きました。


f:id:tanyuu4792:20240205102353j:image