川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

寒き春 432 大森氏頼

朝、今日も雨でバイクを漕ぎました。シャワーを浴びて体重を測ったら55.1kgと先週より0.7kg増えていました。嫁さんは東京で元気に楽しく暮らしているようです。

「日本史1200人」432 大森氏頼(ウジヨリ;?〜1494)

扇谷上杉家の家臣、大森氏当主、相模国小田原城城主。初め鎌倉公方足利持氏に仕え、持氏死後も上杉方に属して、足利義政に年来の忠節を称賛されている。太田道灌と共に扇ヶ谷上杉家の重臣として活躍した。小田原入城後は、海蔵寺や総世寺を建立し、津田織部忠正を招聘するなど、城下に町場や職能集団を形成するように努め支配を確立させた。太田道灌が暗殺された後には、第一の重臣として活躍が伝えられている。しかし、上杉定正の政治手法は家臣の離反を招くようになったため、氏頼は不安を抱き「大森教訓状」と呼ばれる諫言状を定正に送ったとされている。

「寺を建て殿を諌めて寒き春 大森氏頼 に 端遊」

寒き春が2月の季語です。“お家に春を”と励んでも、なんだか寒いのです・・・氏頼は法華経に通じ、曹洞宗寺院を建立して手厚く保護し、箱根神社を中心とした古義真言宗、浄居寺を中心とした臨済宗とも関係を深めるなど宗教面において高い識見を有し、また領地経営に生かしました。

習字は、「寺を建て」はスッキリと、「殿を諌めて」は大胆に強く、「寒い春」は寂しく、というつもりで書きました。


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