川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

粽 497 長宗我部元親

朝、善福寺川沿いを走ってきました。今日のような走りがいつも出来たらなぁ〜と思うくらい軽い走りでした。

「日本史1200人」497 長宗我部元親(モトチカ;1538〜1599)

土佐国の国人から四国統一を果たした大名。22歳で初陣し勇猛な姿を披露した。この年に父・国親が死去して家督を相続するや周囲の国人・土豪を次々支配し、1575年には土佐の完全統一を果たした。元親の兵は「一領具足」と呼ばれた農民兵で、身体能力・団結力が強かったと言われる。さらに侵攻を進め1585年に伊予を制圧して四国統一を果たした。しかし、羽柴秀吉が伊予・讃岐の割譲を要求してきた。元親は伊予の譲渡だけですまそうとしたが、秀吉は12万の大軍で四国へ侵攻してきたため、降伏して再び土佐一国の大名に戻り、それ以後は秀吉に臣従した。

「粽食べ一領具足鬨(トキ)を挙げ 長宗我部元親 に 端遊」

粽が5月の季語です。5月5日の元来は武運長久を祈る儀式の日に食べた、笹の葉で巻いた餅です。鬨は「エイエイ・オー」を3回繰り返すのが正式です・・・度量の広い元親でしたが、嫡男・信親を戦士させた後は、性格が一変して狭量となり、家臣の言葉に耳を傾けなくなったといわれます。

習字は、「粽食べ」は楽しく、「一領具足」は素朴に、「鬨を挙げ」は強く大胆に、というつもりで書きました。


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