川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

衣替 499 毛利秀元

朝、善福寺川沿いを走ってきました。風邪気味だったのでルルを飲んでから走ったのですが、意外と気持ちよく走れました。

「日本史1200人」499 毛利秀元(ヒデモト;1579〜1650)

毛利元就の孫。毛利輝元の養子となり、豊臣秀吉朝鮮出兵の際には、輝元・名代として文禄・慶長の役で交戦した。関ヶ原の戦いでは、輝元が西軍の総大将となり、秀元は先手勢として大坂城に討ち入って徳川勢を追い払ったが、周囲に押し止められ戦線を離脱した。徳川政権下では長門国長府藩の初代藩主となり、毛利一門の重しとなった。1614年、人質として江戸に行き、毛利秀就の行儀や付合いへの意見者となり、幕府年寄との折衝役も務めた。さらに長州藩財政改革の統轄役として、寛永検地・知行替えなどを主導した。晩年は3代将軍徳川家光のお伽衆を務めた。

「意見者じゃお伽衆ぞと衣替 毛利秀元 に 端遊」

衣替(コロモガエ)が5月の季語です。衣服を夏服に替えることです。秀元も気楽な身分になりました・・・秀元の宗家を軽んじた行状に、激怒した秀就は処罰も考えましたが、秀元は徳川家光のお伽衆であったために処罰を免れました。

習字は、「意見者じゃ」は強く、「お伽衆ぞと」は楽しく、「衣がえ」はサラリと、というつもりで書きました。


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