川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

武者人形 498 長宗我部信親

朝、雨が降っていたのでランは休みました。何となく元気が出ないので、ご飯を食べてからもう一度寝ました。

「日本史1200人」498 長宗我部信親(ノブチカ;1565〜1587)

長宗我部元親の嫡男。幼少の頃から聡明だった。元親が織田信長と誼を通じたとき、信長を烏帽子親として信長の「信」を与えられ信親を名乗った。信長没後の1585年、豊臣秀吉の四国攻めに父・元親が降伏後、22歳で秀吉の九州攻めに父と共に参戦し、戸次(ヘツギ)川の戦いで秀吉の軍監・仙石秀久のもとで奮戦したが、あえなく討死した。信親は知勇に優れ人望も厚く、長身・美男子で、走り跳びで2間(約4m)を飛び越え、飛びながら刀を抜くこともできたという。織田信長は信親の噂を聞いたとき、自らの養子に迎えたいと述べたという逸話もある。

「次の世は武者人形ぞ美男顔 長宗我部信親 に 端遊」

武者人形が5月の季語です。端午の節句に飾る武者姿の人形で、ほとんど美形です・・・戸次川の戦いでは、仙石の作戦に反対をしたが聞き入れられず、家臣に対して「信親、明日は討死と定めたり」と吐き捨てたといいます。合戦当日、先陣の仙石の部隊が真っ先に敗走しました。

習字は、「次の世は」はサラリと、「武者人形ぞ」は強く、「美男顔」は優しく、というつもりで書きました。


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