川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

火蛾 506 尼子国久

朝、善福寺川沿いを走ってきました。小唄・端唄を聞きながら走りました。嫁さんは昨日学校で、ジェスチャーのゲームをしたとのことで、ホントに楽しかったようです。

「日本史1200人」506 尼子国久(クニヒサ;1492〜1554)

戦国時代の武将、尼子氏の家臣、戦闘集団・新宮党の党首。多大な武功を挙げて尼子氏の勢力拡大に貢献したが、娘婿でもある宗家・尼子晴久とは方針を巡ってしばしば対立した。また、新宮党は出雲において晴久をも凌ぐ影響力を持っていたため横柄な振舞をする者も多く、他の譜代家臣達と衝突することもあった。そのため、晴久との関係は悪化していき、晴久の正室である国久の娘が死去するとこれを契機として、子の誠久ら一族と共に誅殺された。父・経久からは「文に疎く政道に誤りがあるかも知れぬが、軍務にかけては鬼神のごとき」と言われるほどの猛将であった。

「お戦火じゃ火蛾よ儂はん学はない 尼子国久 に 端遊」

火蛾(ヒガ・ホガ)が5月の季語です。夏の夜に灯火に吸い寄せられるように回る蛾です。国久も危ないと分かっていても吸い寄せられたかな・・・杵築大社の諸問題では、大社周辺に領地を持つ国久に尼子宗家が頼らなければならない側面もあり、これが晴久との対立の大きな要因となり粛清の憂き目にあいました。

習字は、「お戦火じゃ!」は楽しく、「火蛾よ儂はん?」は強く、「学はない」は幼く、というつもりで書きました。


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