川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

卯の花腐(クタ)し 505 尼子勝久

朝、善福寺川沿いを走ってきました。昨日まで風邪気味だったのですが、思ったより走れました。夕方は口笛を練習しながら散歩です。午前中にブログを載せたと勘違いしていました。

「日本史1200人」505 尼子勝久(カツヒサ;1553〜1578)

戦国から安土桃山時代にかけての武将、尼子義久のはとこ、尼子再興軍の総大将となった。祖父・父らの新宮党が尼子晴久によって粛清された際には助けられ、後に晴久が保証人となり、京都に出て東福寺の僧となった。毛利元就により尼子氏が滅ぼされると、その再興を図る家臣らに擁立されて還俗した。1569年に月山富田城奪還を目論むが失敗に終わり、1570年には毛利軍と戦って敗北して京都へ逃れ、1574年には出雲侵攻を企てるがこれも失敗に終わった。その後は織田信長の傘下に入ったが、1578年に毛利氏が総勢3万で上月城に迫った際に、撤退要請に従わず籠城して、ついには降伏して自害した。

「還俗し卯の花腐(クタ)し成仏し 尼子勝久 に 端遊」

卯の花腐(クタ)しが5月の季語です。卯の花を腐らしてしまうような長雨です。勝久も負け続け(≒長雨)で腐ったのかな・・・その後の再興運動の残党軍は、秀吉麾下となり鳥取攻略・朝鮮出兵参陣と軍功を重ね、長州の毛利氏に隣接する津和野藩(4万3千石)として幕末まで続きました。

習字は、「還俗し」はサラリと、「卯の花腐し」はそれなりに、「成仏し」はふんわりと、というつもりで書きました。


f:id:tanyuu4792:20240522183608j:image