川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

野焼き 82 藤原種継

 昨日から、電子辞書で英単語をしたり歴史を読んだりしています。朝は、海沿いをロングランして来ました。地面の反発が真っ直ぐ腿に伝わるように走ったら、膝に負担なく疲れも少なく走れました。

「日本史1200人」の第82番の藤原種継(737〜785)です。

藤原式家、参議・藤原宇合の孫。光仁天皇の即位に尽力した藤原式家の政治的な発言力上昇に伴って順調に昇進した。桓武天皇の信任も非常に厚かった種継は、急速に昇進を果たした。784年、桓武天皇平城京からの遷都を望むと、種継は長岡を提唱し遷都の責任者となった。遷都後間もない785年、種継は造宮監督中に矢で射られ、翌日死亡した。桓武天皇大和国に出かけた留守の間の事件だった。

「野焼きして宮を造るぞ皆のァウッ 藤原種継 に感じて」

野焼きが2月の季語です。普通は草木の芽吹く前の野焼きのことです。「皆の衆!」と声を掛けようとして、矢を射られた・・・川柳です。暗殺犯として大伴継人・佐伯高成ら十数名が捕縛されて斬首となりました。また、事件直前に死去した万葉集で有名な大伴家持は、首謀者として官籍から除名されました。

習字は、「野焼きして」は素朴に、「宮を造るぞ」はスッキリと、「皆のァウッ」は突然射られたように、というつもりで書きました。「野焼き」の素朴さが難しく、「ウッ」の配置が分かりませんでした。


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