朝、マインドフルネス用の音楽を聴きながらロングランをして来ました。脳が静かになるせいか早く走ることが出来ませんでした。これも有りだなと思いながら走りました。
「日本史1200人」の第101番の藤原薬子(?〜810)です。
式家の種継の娘。中納言藤原縄主の妻で三男二女の母。幼少の長女が桓武天皇の皇太子安殿親王(平城天皇)の宮女となるとこれに伴って宮仕えに上がり、やがて娘を差し置いて自身が安殿親王と深い関係となった。桓武天皇は怒り、薬子を東宮から追放するが天皇が崩御すると、薬子は再び召され、夫の縄主が九州へ遠ざけられると、平城天皇の寵愛を一身に受けた。やがて薬子は政治に介入するようになり、兄の藤原仲成とともに専横を極め、兄妹は人々から深く怨まれる。後に平城天皇が嵯峨天皇に譲位すると、薬子の変を起こし敗れて毒薬を飲み自害する。
「金縷梅(マンサク)よ何に構うか先に咲け 藤原薬子 に感じて」
金縷梅が3月の季語です。葉に先立ち、黄色の細くねじれた花を咲かせる落葉樹です。名前の由来として「先ず咲く」とする説があります。花言葉は呪文・魔力などです。薬子が金縷梅を自分に見たてて呪文のように誓った言葉をイメージしました。
習字は、「金縷梅よ」はスッキリと、「何に構うか」悪意を込めて強く、「先に咲け」は未熟な感じで、というつもりで書きました。「先に咲け」はもっと細く書きたいのですが、難しいです。