川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

野梅(ヤバイ) 83 早良親王

 朝は隣町で走る日ですがコロナで休みです。で、近くの海沿いをいつもの半分走ってきました。嫁さんは小学校に習字の指導に行きました。子供たちにハンコを作らせるようで、2日前から用意していたものを、いろいろと持っていきました。

「日本史1200人」の第83番の早良親王(サワラシンノウ750〜785)です。

光仁天皇の次男で桓武天皇の弟。母方が下級貴族であったために出家して東大寺に住み、良弁の後継者として指導的な高い地位にいた。しかし781年、光仁天皇の勧めによって還俗し立太子された。785年、藤原種継の暗殺事件に連座して廃され、無実を訴えるため絶食し10余日、淡路国に配流される途中に憤死した。

「野梅(ヤバイ)ぞよ麿の高潔祟るぞよ 早良親王 に感じて」

野梅が2月の季語です。野に咲く梅です。梅の花言葉は高潔です。その後、皇太子の発病や、桓武天皇の3人の妃や生母の病死、疫病の流行、洪水などが相次ぎ、それらは早良親王の祟りであるとして幾度か鎮魂の儀式が執り行われました。

習字は、「高潔」をスッキリと、その他の字は恨みを込めてドロドロと、というつもりで書きました。特に「麿」は書く度に違った表情になり、少し妥協しました。


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