川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

霞 125 醍醐天皇

朝、サイモンとガーファンクルを聴きながら、海沿いをロングランして来ました。アマゾンに注文した柿ピーは、ピーナッツ無しを頼んでしまいました。

 「日本史1200人」の第125番の醍醐天皇(885〜930)です。

60代天皇宇多天皇の皇子。臣籍の身分として生まれた唯一の天皇で、はじめ源維城といった。父帝の訓示を受けて藤原時平菅原道真を左右大臣とし、政務を任せる。34年間にわたり、摂関を置かずに形式上は親政を行って数々の業績を収めたため、後代に「延喜の治」として謳われた。しかし901年、時平の讒言を容れて菅原道真大宰府に左遷した昌泰の変は、聖代の瑕と評された。跡継ぎにと考えていた子・孫が次々に亡くなり、菅原道真の怨霊の仕業と噂されたため、923年に道真を右大臣に復したうえ贈位を行ってその慰霊に努めた。しかし930年に清涼殿落雷事件が起きるとこれ以後体調を崩し、いよいよ病が重くなって譲位し、その7日後に出家すると同日崩御した。

「霞から道真ボワァン麿はポク 醍醐天皇 に感じて」

霞が3月の季語です。水蒸気が昇り、野山や谷・空までもかすませます。春は霞、秋は霧です。怨霊が信じられていた時代なので、本当に怖かったでしょうね。菅原道真の件は、近年では天皇と時平による宇多上皇の政治力排除のための行動だったと考えられています。醍醐天皇律令政治の復興に努め、「古今和歌集」「延喜格式」「日本三代実録」の編集にも携わっています。

習字は、「霞から」はサラリと、「道真」は強弱をつけて、「ボワァン」は大胆に、「麿はポク」は弱く、というつもりで書きました。


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