川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

天高し 110 エピクテトス

 朝、隣町のランは休みなので、近くを散歩しました。先ず、一人5万円のコロナ援助費申込書をポストに投函して、それから最西端の灯台に行ってきました。

「世界史1200人」110 エピクテトス(55〜135)

古代ギリシアストア派の哲学者。苦難の中にあって平静を保つことや、人類の平等を説いたその教えは、皇帝マルクス・アウレリウスの思想にも引き継がれており、ストア主義の歴史上重要な意味を持つとみなされている。もとは奴隷であったが、自由人となったエピクテトスは哲学の教師となった。しかし89年に皇帝ドミティアヌスが出した哲学者の追放令のために、ローマを離れギリシア東部の大都市ニコポリスに落ち着いて哲学の学校を開いた。これはきわめて有名になり、皇帝ハドリアヌスも訪問したほどであった。後年エピクテトスは片足の自由がきかず、そのことが何度か「語録」で触れられている。これは奴隷時代の残酷な虐待の結果といわれることがあるが、片足の自由がきかなくなった理由については「語録」で述べられておらず、はっきりしたことはわかっていない。

「平等の奴婢の哲学天高し エピクテトス に 端遊」

天高しが10月の季語です。本来は秋の空を形容する言葉ですが、澄み切った高さを平等の哲学に掛けました。エピクテトス自身は著作を残しませんでしたが、アッリアノスがエピクテトスが話すのを「できるだけそのままの言葉で」書き留めたものが「語録」であり、その要点をまとめたものが「提要」です。すべてのストア哲学のテキストの中でおそらく最も広く読まれ、影響力の大きなものであるといわれます。

習字は、「平等の」はサラリと、「奴婢の哲学」は曲線と直線を組合せ、「天高し」は大胆に強く、というつもりで書きました。


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