川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

絵踏 200 後三条天皇

 朝、雨が降っていたのでバイクを漕ぎました。シャワーを浴びて体重を測ったら53.5kgと先週より0.9kg減っていました。豚汁やビーフシチュウーなど美味しくていっぱい食べたので心配していたのですが、心配した分、痩せたようです。

「日本史1200人」200 後三条天皇(1034〜1073)

71代天皇後朱雀天皇の子。宇多天皇以来170年ぶりの、藤原氏外戚としない天皇で、摂関家の政権独占打破を図り、積極的に親政を行った。しかし決して報復的態度を取らないように公正な態度を示した。延久の荘園整理令を発布し、記録荘園券契所を設置するなどしたが、この整理令は今までに見られなかった緻密さと公正さが見られ、そのために基準外の摂関家領が没収される等、摂関家の経済基盤に大打撃を与えた。この事が官や荘園領主、農民に安定をもたらし「古事談」はこれを延久の善政と称えている。

「整理せよ狡は絵踏ぞ折檻ゾ 後三条天皇 に 端遊」

絵踏(エブミ)が2月の季語です。本来はキリスト教徒を探る踏絵のことですが、句では狡(ズル)・不正を探る手段・秤として使いました。折檻は摂関に掛けたつもりです・・・後三条天皇は在位5年足らずで第1皇子の白河天皇に譲位し、半年後に病のため出家し、まもなく崩じました。大江匡房は「わずか五年の間に国家を淳素に戻し、人に礼儀を知らしめ・・・」などと叙述しています。

習字は、「整理せよ」はサラリと、「狡は絵踏ぞ」はねちっこく、「折檻ゾ」は大胆に強く、というつもりで書きました。


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