川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

朧月 252 藤原頼嗣

 土曜日のアルコールが未だ抜けないのか、今日もゆっくり起きました。いつもより1時間半くらい遅れて海沿いを走って来ました。後半に左足の調子が良くなりました。嫁さんはこれから島一周のピクニックです。

「日本史1200人」252 藤原頼嗣(1239〜1256)

5代将軍、藤原頼経の子、九条頼嗣ともいう。わずか6歳で将軍となり、7歳で16歳の北条経時の妹・檜皮姫を正室として迎えた。実権は北条氏にある、幼将軍であった。1246年に父・頼経が謀反の疑いで追放された後も鎌倉に留まった。しかし北条時頼が皇族の宗尊親王を将軍に迎えたため、14歳で将軍を解任され、母と共に京都へ追放された。父・頼経が赤痢で死去したのに続いて、頼嗣は麻疹により18歳で死去した。

「将軍が足をぶらぶら朧月 藤原頼嗣 に 端遊」

朧月(オボロヅキ)が4月の季語です。薄絹のベールに被われたかのような優しい月です。縁側で足をぶらぶらしている幼将軍を月が見ています・・・結果的に、父と共に北条家とは対立関係となりましたが、執権・北条時頼は頼嗣の教育に熱心であり、学問・武術それぞれに複数の教師を付けています。頼嗣も勉学への意欲は高く、帝王学の勉強会を行うなどしています。

習字は、「将軍が」は幼く、「足をぶらぶら」は暇なように、「朧月」は優しく、というつもりで書きました。


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