川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

草矢射る 301 北畠親房

 土曜日は歯医者に行き、それから鮨を食べました。昨日はほぼ一日中家にいて本を読み、スープを作って日常の食事を始めることにしました。今日の朝は、善福寺川に沿って走って来ました。

「日本史1200人」301 北畠親房(1293〜1354)

公卿、後醍醐・後村上天皇時代の南朝を実質的に指揮した。1348年に楠木正行南朝方が高師直に敗れると、南朝は吉野からさらに山奥深い賀名生行宮に落ち延びた。その後観応の擾乱足利尊氏南朝に降伏すると、これに乗じて親房は一時的に京都と鎌倉の奪回にも成功した。1354年に賀名生で死去したが、その後は南朝には指導的人物がいなくなり、南朝は衰退への道をたどっていく。博学で知られ「神皇正統記」「職原抄」を著した。

「神皇記読んでも勝てぬ草矢射る 北畠親房 に 端遊」

草矢射るが6月の季語です。薄・茅などの葉を裂いて指にはさみ、矢のように飛ばして遊びます・・・「神皇正統記」は、序論・神代・地神の記、に続いて歴代天皇の事績を後村上天皇の代までのべています。慈円の「愚管抄」と双璧の、中世日本で最も重要な歴史書です。また文明史・史論書・神道書・政治実践書・政治哲学書とも評されます。後世の代表的な歴史家・思想家に、きわめて大きな影響を与えました。

習字は今日からまた筆を使い、「神皇記」は古い感じに、「読んでも勝てぬ」は困ったように、「草矢射る」は幼く、というつもりで書きました。


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