川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

赤痢 317 足利義持

 昨夜、最後の東京なので嫁さんと二人で外食し、ハンバーグとステーキをワインで頂きました。家の近くのお店ですが、安くて雰囲気が良く、次回からも楽しみです。それから12時ジャストにANAの石垣行きを予約・購入出来ました。いよいよ今日は与那国島です。

「日本史1200人」317 足利義持(1386〜1428)

室町幕府第4代将軍。父・義満より将軍職を譲られ、9歳で第4代将軍に就任する。父の死後、勢力を盛り返す守護大名の中にあって調整役として機敏に立ち回り比較的安定した政権を築いた。将軍在職28年は歴代室町将軍中最長である。義持は浴室で尻に出来た出来物をかき破った傷が発熱・腐敗・壊疽して人事不省となり死亡した。死の直前、後継者は幕府重臣に任せるとして、義持の弟4人から1人を籤引きで定めることとした。重臣は籤を作って内々に神前で引き、義持死後に開封した。

赤痢より守護より怖し尻の傷 足利義持 に 端遊」

赤痢が7月の季語です。昔は多かった急性伝染病です。尻の傷は痛かっただろうな・・・義持は禅文化に心酔し、そのため武将をはじめ、京都五山の禅僧が参集して文化サロンが形成され、水墨画が発展しました。現在国宝に指定されている如拙筆の「瓢鮎図」も義持の発案・指導によって描かれました。

習字は、「赤痢より守護より」は弱く、「怖し」は強く、「尻の傷」は情けなく、というつもりで書きました。

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