川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

炎熱 314 足利義政

 昨日は一日中雨模様で、久しぶりに家でゆっくりしました。今日の早朝も雨だったので、習字を終えてから走ることにしました。

「日本史1200人」314 足利義政(1436〜1490)

室町幕府第8代将軍、足利義教の3男。8歳で将軍となり元服後は政治に意欲をみせたが、周囲の干渉から無関心となり、一揆や大飢饉にも無策であった。そして後継者争いから1467年に応仁の乱が始まり、11年続いた戦乱で京は焼け野原になった。義政が隠居した東山の山荘へは、花道・茶道・能・絵画などに秀でた文化人が集まり、東山文化をつくった。作庭では賤民の「河原者」が活躍したが、そのひとり善阿弥が山荘の庭を作った。義政は銀閣の建設途中に亡くなった。

「応仁の炎熱スルリ庭作り 足利義政 に 端遊」

炎熱が7月の季語です。戦いの炎熱にも掛けました。スルリはスルリと逃げての感じです・・・義政は、中断していた日明貿易を復活させました。しかし利益は花の御所大改築や作庭に費やされたため、応仁の乱後の幕府の財政はむしろ逼迫してしまいました。

習字は、「応仁の」はスッキリと、「炎熱スルリ」は大胆に、「庭作り」は控えめに、というつもりで書きました。


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