川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

幟 308 プラノ・カルピニ

昨日、床屋に行き、5mmの坊主にしてきました。島では3mmにしています。さっぱりとして朝、善福寺川沿いを走ってきました。

「世界史1200人」308 プラノ・カルピニ(1182〜1252)

イタリア・修道士。東欧・西欧にモンゴル帝国の脅威が忍び寄ってくると、カルピニはローマ教皇の命を受けて、東欧に進出していたバトゥに会い、さらに首都のカラコルムに赴き、教皇の親書を手渡して和睦交渉を行なった。しかし、グユク・ハンは和睦ではなく西欧諸国の臣従(シンジュウ)を望んだため、果たすことはできなかった。帰国後は一時、教皇の怒りを買ったが、カルピニが記した「モンゴル人の歴史」という史書・報告書が高く評価されたこともあり、大司教に任じられた。

「モンゴルめ臣従などと立て!幟 プラノ・カルピニ に 端遊」

幟(ノボリ)が5月の季語です。5月5日の節句の幟です。ローマへの合図と武運長久の印として使いました・・・カルピ二の報告書は、モンゴル人のキリスト教諸国への侵攻の確認と、防衛準備の為のモンゴル軍の分析に重きが置かれることになりました。

習字は、「モンゴルめ」は強く、「臣従などと」はサラリと、「立て!幟」は大胆に、というつもりで書きました。


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