川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

松飾る 388 堀秀政

昨日、床屋に行ったので、夜中は頭がスースーと冷えました。朝はいつものように善福寺川沿いを走ってきました。

「日本史1200人」388 堀秀政(1553〜1590)

武将、大名。初めは大津長昌に、次いで木下秀吉に仕え、13歳の時に織田信長の小姓・側近として取り立てられた(顔が美形だったためとも言われる)。各種の奉行職を務め、側近としての地位を確立し、やがて戦場でも活躍するようになった。また、一向宗の叔父に育てられた関係で、本願寺との交渉に奮闘して、後に顕如から「釋道哲」の法名をいただいた。本能寺の変の際には、秀吉の軍監として備中国におり、秀吉と共に急ぎ上方へ戻り山崎の戦いに参陣した。清洲会議の後は秀吉の家臣となり、一族以外で初めて羽柴氏の名字を与えられている。その後、小牧・長久手の戦いでも活躍したが、小田原征伐の際、疫病を患い陣中で急死した。

「小姓でもピリリと辛い松飾る 堀秀政 に 端遊」

松飾るが12月の季語です。12月の20日過ぎに各家に立てる松飾りです。繁栄の印です・・・ある時、行軍中に旗持ちが遅れ出し咎められたのを、秀政は自ら旗を背負って試み「さては自分の馬の脚が良いせいだろう」と言って、脚の弱い馬に乗り替えたところ、旗持ちは遅れなくなったといいます。

習字は、「小姓でも」はスッキリと、「ピリリと辛い」は大胆に強く、「松飾る」は明るく、というつもりで書きました。


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