川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

枯葉 374 織田信孝

昨日は嫁さんが居なかったので、昔働いていた高円寺周辺をぶらついてから、阿佐ヶ谷の家の近くの飲み屋さんに行きました。タン・ハツ・レバー・カシラを塩で美味しく頂きました。ハツモト・タンシタは初めてでしたが美味しくて、お店を開拓した気分でした。今日のランは雨でお休みです。

「日本史1200人」374 織田信孝(1558〜1583)

信長の3男。信長に降伏した神戸具盛の養嗣子とされた。長島一向一揆攻めに初の参陣をし、以後は信忠軍団の組下にありながらも、信長の側近としても活動した。さらに四国攻めの総司令官「南海の総管」に抜擢され、渡海は6月2日に予定されていたが、まさに6月2日早朝に本能寺の変が勃発した。山崎の戦い明智光秀を撃破して父の仇を討つことに成功したが、信孝の手勢はわずか4千で、2万余を率いた秀吉がその後の主導権を握ることになった。信孝は秀吉と反目して、同じく不満を持っていた柴田勝家に接近した。やがて賤ヶ岳の戦いで頼みの綱である勝家を失った信孝は、やむなく開城して長良川を下り、安養院において信雄の命令によって自害させられた。

「総管だイザ!いや?ムムむ枯葉舞う 織田信孝 に 端遊」

枯葉が11月の季語です。総管になってから自害まで、あっという間の運命でした・・・信孝は切腹の際、腹をかき切って腸をつかみ出すと、床の間にかかっていた梅の掛け軸に臓物を投げつけたといわれます。安養院には短刀とその血の跡が残る掛け軸が伝来しています。

習字は、「総管だ」は強く、「イザ!いや?ムムむ」はそれなりに、「枯葉舞う」はサラリと、というつもりで書きました。


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